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TOKYOROCKS!2011 特別号 秋季リーグ第8週(通算32号) 掲載
2011年10月26日発行
早稲田大学野球部OB会 稲門倶楽部 前会長 本村政治(昭和三十一年卒業)
日本の学生野球界は昭和三十年頃から、再びブームを巻き起こす兆しをみせはじめた。昭和三年頃から七年頃までを第一期黄金時代とすれば三十年代前後は第二期黄金時代であろうといわれている。
戦後続々とスポーツ紙が発刊され、民放ラジオの誕生、NHKテレビの野球放送開始等、大衆娯楽の提供を中心にしたマスコミの増加と活動が活発化した。
昭和三十年秋のシーズン終了後の第二回アジア大会出場メンバーを東京六大学選抜チームとし、このチームがわが国の代表となった。
右投手秋山登(明)木村保(早)杉浦忠(立)左投手原田靖男(東)捕手土井淳(明)酒井敏明(早)一塁手近藤和彦(明)中田昌宏(慶)二塁手佐々木信也(慶)三塁手長島茂雄(立)遊撃手中野健一(法)岩岡保宏(明)外野手宮崎義郎(早)森徹(早)衆樹資宏(慶)沖山光利(明)が選ばれた。
このメンバーの中で宮崎と原田の二人を除き、あとの人は卒業後プロ野球への道を選んだ。松岡雅俊(早)藤田元司(慶)大沢昌芳(立)などこの選抜チームから漏れたことを思えば、東京六大学野球の第二期黄金時代といわれたのも当然のことである。
この選抜チームを指揮した森茂雄早大監督の話が『栄光の神宮球場』に掲載されており、「もし、六大学の最盛期はいつ頃なりやと、質問を受けることがあったなら、私は躊躇することなく即座に昭和三十年前後であると答えるであろう」(原文のまま)森監督は昭和のはじめ第一期黄金時代の選手でもあった。第三期黄金時代の到来は何時の事だろうか。